死を定義するからこそ、見えるもの [日記]
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父の反面教師の教えから感じ取ったことば
生きるって事の重み
生きる感度に適した街の構成について書かれた良書 「生きごこちのいい街」
年間3万人――自殺が日本の重大な社会問題であることは論を待たない。
なにが自殺を引き起こすのかを探る自殺危険因子に関する研究は数多くあるが、
自殺の危険を緩和する自殺予防因子についての研究はこれまで手つかずだったという。
その「取扱注意」のテーマに果敢に挑んた著者は、
徳島県海部町という(島嶼部をのぞく)日本でもっとも自殺率の低い地域の知られざる特性を、
丁寧な調査と地元の人との密な対話を通じて掘り起こしていく。
五つの自殺予防因子をまとめると以下のようになる。
1 いろんな人がいたほうがよいという価値観
2 出自にこだわらず、人物本位で他者を評価する
3 自分にも世の中を変えられるという自己効力感が強い
4 「病、市に出せ」遠慮せず、虚勢を張らず、困ったときは助けを求める
5 出入り自由。他者に関心はもつが監視はしない。基本的に淡泊な人間関係
海部町のコミュニティが近隣の集落とは異なるこれらの価値観を持つに至った歴史的背景として、
江戸時代に材木の集積地として繁栄し、一獲千金を求めて商人や職人が外部からの移住者が相当数流れ込んできたことがあるという。
「短期間にてんでに集まってきた多士済々な人々が共存共栄への道を拓く作業に一斉に着手」
することで生まれて、もともと地縁血縁の薄いコミュニティだったというのである。
「異質なものをそのつど排除していたのではコミュニティは成立しなかったわけだし、
移住者たちは皆一斉にゼロからのスタートを切るわけであるから、
出自や家柄がどうのと言ったところで取り合ってももらえなかっただろう。
その人の問題解決能力や人柄など、本質を見極め評価してつきあうという態度を身につけたのも、
この町の成り立ちが大いに関係していると思われる」と著者は書いている。
リーダーは年の功や家柄などと関係なしに選ばれるので、
この町では一見がリーダーなのかよくわからないそうだ。
権威や権力を振りかざす者ではなく、
世話人のような役割を果たす「サーバントリーダー」型のリーダーということか。
こうした調査結果をふまえた上での著者の「絆」や「人とのつながり」に対する考察が興味深い。
都市に比べると地方は自殺希少地域においても自殺多発地域においても、
近所づきあいが緊密で、地域の助け合いを重んじており、海部町も近隣集落もその点でとくに差はないという。
そこで著者は「人々が『絆』『つながり』と呼んでいるもののの本質やそれに対する人々の意識に、地域によって差異があるのではないか」と考えた。
研究の結果から、海部町での近所づきあいはゆるやかで淡泊なものであるのに対し、近隣の自殺多発地域の人間関係は、緊密で排他的であることがわかった。
前者にくらべて後者は援助希求(困ったときに助けを求める意思・行動)が抑制されるという。
言い換えれば、「絆」の強さはときとして風通しの悪さにもつながるということだろう。
機会にしても組織にしても、円滑に動かすためには適度な遊びが必要なのである。
いいかげんとはよくいったもので、「好い加減」のゆるさ、適当さがある社会では、
変な遠慮や無理な我慢をしなくてすむ。
自殺率のきわめて低い海部町の住民幸福度、
つまり「幸せ」と感じている人の比率が両隣の町と比べてもっとも低い
という調査結果は非常に示唆に富んでいる。
これは「不幸せ」と感じている人が多いということではない。
海部町では「幸せでも不幸せでもない」と感じている人の比率がもっとも高かった。
つまり幸せでも不幸でもなく、「そこそこ」「まあまあ」という状態の人が多いのが海部町なのである。
気持ちが昂ったり落ち込んだりせず、安定していることこそ「行き易さ」につながるということ、これは考え見れば当然のことだが、「幸せではない=不幸」という思い込みが私たちのなかにありはしないだろうか。
復興支援、高齢者支援などにおいても一時的で外発的な幸福感よりも
持続的で内発的な安定感を重視すべきだろう。
著者は、いかなる手を尽くしても自殺危険因子はゼロにはならない、という認識を出発点にしている。
だからこそ、海部町とその近隣地域の調査からうかびあがってきた自殺予防因子のほうに
目を向けるべきなのだと。
こうした現実的な認識に基づいた研究や政策はより成果につながりやすいと思われる。
著者は海部町の人々に感謝し、愛着を感じている一方で、
彼らのコミュニティに「古き良き日本人の美徳」を見たりはしない。
海部町でつかずはなれずの絶妙の距離感を保った風通しのいいコミュニティが保たれてきたのは「損得勘定」の結果だと考える。
そうすることで見返りがあることを理解していたがゆえの合理的判断だったというわけだ。
この説には説得力があるが、はなぜ同じような損得勘定が近隣の町では働かなかったのか、
気になるところではある。
結局、誰かに強制されないでも残っていくものは理にかなっているのである。
言い換えれば、無駄がなく、洗練されている。理にかなわぬものは野暮なのだ。
著者は「個人の自由を侵し、なんらかの圧力を行使して従属させようとする行為」を封印するために
「野暮のレッテル」を貼るようになったのではないかと推測している。
善悪や正否を中心に据えた社会では、何が善か、何が悪かを決める権威が必要となる。
それを「野暮(か粋か)」という上位概念をもってくることによって巧妙に避けることに成功したのは、
著者が指摘するように、外からの流入者が多かった歴史と関係していると思われる。
多様な価値観に晒される開かれた社会が成熟した人間観につながるということだろう。
地域の構成要素で一番のキーポイントは地域に暮らす「人々」だ
人との絶妙の距離感が風通しの良い人間関係 地域のいい特性を生み出す
幸福を求めすぎない態度が大切であり、不幸からの救いの手である
幸福を求めない生き方が不幸を減らす 適度なところで満足する自制心が大切で
そのことが心の健康度を高める
反証すれば救いの真実の一端が見え隠れする
幸福でもないが、別段不幸とも思わない!
淡々と生きる 緩みがある社会環境がポイント
目の前にある自然に目を向けられる余裕が平凡な人生の質を高める。
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父の反面教師の教えから感じ取ったことば
生きるって事の重み
息心地のいい町 深呼吸できる町
生きる感度に適した街の構成について書かれた良書 「生きごこちのいい街」
年間3万人――自殺が日本の重大な社会問題であることは論を待たない。
なにが自殺を引き起こすのかを探る自殺危険因子に関する研究は数多くあるが、
自殺の危険を緩和する自殺予防因子についての研究はこれまで手つかずだったという。
その「取扱注意」のテーマに果敢に挑んた著者は、
徳島県海部町という(島嶼部をのぞく)日本でもっとも自殺率の低い地域の知られざる特性を、
丁寧な調査と地元の人との密な対話を通じて掘り起こしていく。
五つの自殺予防因子をまとめると以下のようになる。
1 いろんな人がいたほうがよいという価値観
2 出自にこだわらず、人物本位で他者を評価する
3 自分にも世の中を変えられるという自己効力感が強い
4 「病、市に出せ」遠慮せず、虚勢を張らず、困ったときは助けを求める
5 出入り自由。他者に関心はもつが監視はしない。基本的に淡泊な人間関係
海部町のコミュニティが近隣の集落とは異なるこれらの価値観を持つに至った歴史的背景として、
江戸時代に材木の集積地として繁栄し、一獲千金を求めて商人や職人が外部からの移住者が相当数流れ込んできたことがあるという。
「短期間にてんでに集まってきた多士済々な人々が共存共栄への道を拓く作業に一斉に着手」
することで生まれて、もともと地縁血縁の薄いコミュニティだったというのである。
「異質なものをそのつど排除していたのではコミュニティは成立しなかったわけだし、
移住者たちは皆一斉にゼロからのスタートを切るわけであるから、
出自や家柄がどうのと言ったところで取り合ってももらえなかっただろう。
その人の問題解決能力や人柄など、本質を見極め評価してつきあうという態度を身につけたのも、
この町の成り立ちが大いに関係していると思われる」と著者は書いている。
リーダーは年の功や家柄などと関係なしに選ばれるので、
この町では一見がリーダーなのかよくわからないそうだ。
権威や権力を振りかざす者ではなく、
世話人のような役割を果たす「サーバントリーダー」型のリーダーということか。
こうした調査結果をふまえた上での著者の「絆」や「人とのつながり」に対する考察が興味深い。
都市に比べると地方は自殺希少地域においても自殺多発地域においても、
近所づきあいが緊密で、地域の助け合いを重んじており、海部町も近隣集落もその点でとくに差はないという。
そこで著者は「人々が『絆』『つながり』と呼んでいるもののの本質やそれに対する人々の意識に、地域によって差異があるのではないか」と考えた。
研究の結果から、海部町での近所づきあいはゆるやかで淡泊なものであるのに対し、近隣の自殺多発地域の人間関係は、緊密で排他的であることがわかった。
前者にくらべて後者は援助希求(困ったときに助けを求める意思・行動)が抑制されるという。
言い換えれば、「絆」の強さはときとして風通しの悪さにもつながるということだろう。
機会にしても組織にしても、円滑に動かすためには適度な遊びが必要なのである。
いいかげんとはよくいったもので、「好い加減」のゆるさ、適当さがある社会では、
変な遠慮や無理な我慢をしなくてすむ。
自殺率のきわめて低い海部町の住民幸福度、
つまり「幸せ」と感じている人の比率が両隣の町と比べてもっとも低い
という調査結果は非常に示唆に富んでいる。
これは「不幸せ」と感じている人が多いということではない。
海部町では「幸せでも不幸せでもない」と感じている人の比率がもっとも高かった。
つまり幸せでも不幸でもなく、「そこそこ」「まあまあ」という状態の人が多いのが海部町なのである。
気持ちが昂ったり落ち込んだりせず、安定していることこそ「行き易さ」につながるということ、これは考え見れば当然のことだが、「幸せではない=不幸」という思い込みが私たちのなかにありはしないだろうか。
復興支援、高齢者支援などにおいても一時的で外発的な幸福感よりも
持続的で内発的な安定感を重視すべきだろう。
著者は、いかなる手を尽くしても自殺危険因子はゼロにはならない、という認識を出発点にしている。
だからこそ、海部町とその近隣地域の調査からうかびあがってきた自殺予防因子のほうに
目を向けるべきなのだと。
こうした現実的な認識に基づいた研究や政策はより成果につながりやすいと思われる。
著者は海部町の人々に感謝し、愛着を感じている一方で、
彼らのコミュニティに「古き良き日本人の美徳」を見たりはしない。
海部町でつかずはなれずの絶妙の距離感を保った風通しのいいコミュニティが保たれてきたのは「損得勘定」の結果だと考える。
そうすることで見返りがあることを理解していたがゆえの合理的判断だったというわけだ。
この説には説得力があるが、はなぜ同じような損得勘定が近隣の町では働かなかったのか、
気になるところではある。
結局、誰かに強制されないでも残っていくものは理にかなっているのである。
言い換えれば、無駄がなく、洗練されている。理にかなわぬものは野暮なのだ。
著者は「個人の自由を侵し、なんらかの圧力を行使して従属させようとする行為」を封印するために
「野暮のレッテル」を貼るようになったのではないかと推測している。
善悪や正否を中心に据えた社会では、何が善か、何が悪かを決める権威が必要となる。
それを「野暮(か粋か)」という上位概念をもってくることによって巧妙に避けることに成功したのは、
著者が指摘するように、外からの流入者が多かった歴史と関係していると思われる。
多様な価値観に晒される開かれた社会が成熟した人間観につながるということだろう。
地域の構成要素で一番のキーポイントは地域に暮らす「人々」だ
人との絶妙の距離感が風通しの良い人間関係 地域のいい特性を生み出す
幸福を求めすぎない態度が大切であり、不幸からの救いの手である
幸福を求めない生き方が不幸を減らす 適度なところで満足する自制心が大切で
そのことが心の健康度を高める
反証すれば救いの真実の一端が見え隠れする
幸福でもないが、別段不幸とも思わない!
淡々と生きる 緩みがある社会環境がポイント
目の前にある自然に目を向けられる余裕が平凡な人生の質を高める。
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2014-10-23 06:33
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